父のことで、励ましのお言葉を頂いた方々、ご心配くださった皆様、ありがとうございました。
父は退院し、今後は、通院で抗がん剤治療をもう少し続けなければなりませんが、本人はやせた体重と筋力を戻そうと頑張っており、元気にしています。
前回に引き続き、「苦しみのもとは、吟味されていない自分の思考」についてですが、自分が苦しんでいる時、辛い気持ちの時、怒ってる時、イライラする不快な時、その考えが本当に真実なのか、問い直したことがあるでしょうか?
そして、自分を苦しめ、不快な気持ちにさせてるものは、一体何なのか?見つめたことがあるでしょうか?
その苦しみは、相手のせいですか?それとも周りの状況や運命のせいですか?上司や会社のせいですか?
全て答えは、「
NO:ノー」です。
では何が?
その置かれた状況やすでにそうである状況に対して抵抗した「自分の思考」のせいです。
同じ状況に置かれても、怒る人もいれば、嘆く人もいるし、何とも思わない人もいたりしますが、その違いはそれぞれの人が、自分の思考を正しいと思い込み、吟味しないまま鵜呑みにして信じた結果なのです。
私達は、どんな考え方を選択しても良いのですが、自分が苦しんだり、不快な気持ちになる選択を無意識にして、自分を苦しめていることに気づいていないのです。
そう、苦しみや痛みを自分でこしらえてるということです。
「自分の思考を観察・見張る」というのは、わざわざ自分を苦しめるような思考を選択しないよう、
無意識にしてたものを
意識的に吟味して、選択するためにとても役立ちます。
多くの人は、自分の考えていることは、「普通」だ、「常識」だ、「当たり前」でしょうとか決め付けていて、「ほとんどの人がそう考えてるはず」と周りの人が、同じ常識や価値観を持っていると無意識に期待してます。
そして、相手が自分の期待通りの発言や行動をしなかった時、受け入れることができず(←抵抗してる)、怒ったり、文句を言ったり、悲しんだり、絶望したりして、苦しみを抱え込みます。
でも、客観的になって吟味してみれば、自分が考えてる「常識」が、他人も全く同じとか同じ反応をすると勝手に期待してる方が、おかしなことだと気づきませんか?
例えば、ある妻の夫が浮気をしたことが発覚した時、その妻は激怒して、苦しんでます。
「結婚したのに浮気するなんて私への裏切りだ!」とずーっと考えてたら、ずーっと苦しいのは本人です。夫が浮気をしたという「すでにそうである状況」を抵抗せず、ただ見つめて自分の考えを吟味した場合、「私への裏切り」だけが真実だろうか?
夫は、ただ自分の気持ちに正直になっただけで、裏切るつもりでやったのではないかもしれないし、夫に対する妻の思いやりのなさが浮気の原因だったかもしれないし、夫の浮気性は結婚前からあったかもしれない等など、自分が思い込んでいた以外の様々な側面が見えてきます。
そして、「私への裏切りだ」という思考を信じた時湧き上がる感情とその思考を選択せず、その思考がなかったとしたらどんな感覚になるか比べてみると、どちらが自分にとって良いかわかります。
その思考を信じた時: 悔しく、苦しく、怒りでムカムカして、悲しくもなるなど。
その思考がなかったら: 気分は楽で、相手の行動に評価を下すことなく、ただありのままの現実を見ることができるなど
私達は、自分が楽になる考えを選択しても良いのです!
長くなりましたが、読んでくださってありがとうございます。
感想などありましたら、コメント書き込み頂けると嬉しいです。