今年になってまだ2週間ほどしか経ってませんが、私の中ではすでに様々な変化や気づきそして学びがあって、とても中身の濃いスタートとなりました。
まず、父のことですが、年末休みに入る直前に病気が「悪性リンパ腫」と判明し、すぐさま名古屋の大学病院へ転院して、大学病院の先生が手際の良い処置をしてくださり、抗がん剤の投与も病状に対して合っていたようで、年を越す時には「危機を脱した」と言ってもらえて、少し安心して新年を迎えることができました。
その後、副作用もひどくなく、順調に回復しつつあり、3週間1セットの抗がん剤投与を8セットくらい繰り返すのですが、もうじき退院して、通院に切り替えることになりました。
最近の抗がん剤と吐き気止め薬は、すごい効きますね。。。
一時期、腎臓機能も悪くなっていて、透析も覚悟しなくては、と思っていたのですが、パンパンに腫れていた身体が、一気にしぼみました。もちろん利尿剤なども使われてましたが。
今回、父の病気を機にたくさん学ぶことがありました。
病気のこと、癒しについて、親が死ぬかもしれない時の気持ち、家族のこと、母と私のこと、自分の感情や思考を見つめること等など。
今まで、友人の親や従姉妹の親が亡くなった時、つらいだろうなと同情したつもりだったけど、その子の気持ちを全然わかっちゃいなかったということがわかった。。。
親を亡くすことや子を亡くすというのは、その悲しみは経験してみなければ、決してわからないということ。
幸い私の父は助かりましたが、亡くなる覚悟までしたので、少し経験をさせてもらったわけです。
父の見舞い付き添いには、ほぼ毎日、私と母が一緒に行き、共に行動してました。すると、母の考え方のクセやネガティブな部分など色々と目につき、意見をいうつもりで、口出ししてケンカになったりもしました。
でも、家族や身近な人ほど相手との距離感に気をつけなくてはならないし、気づいてほしいとかこうであってほしいなどの期待もかけてしまいがち・・・
母は母自身の人生があり、その人生において彼女が学ぶ事や気づきは、彼女の責任であり、私が口出しするのは、彼女の領域を土足でヅカヅカと踏み込むようなもの。
家族だとお互いに無意識に相手の領域に踏み込んでしまい、無意識なのでそのことに気づきにくいのですが、自分の思考を観察して意識的でいられると、口出しする前に「あ、また余計なこと言いそうになった」と気づけるようになりました。
少しずつですけどね。
去年のロンドンでのカウンセリングコースを受けて以来、ずっと気をつけているのが、自分の「思考を観察すること」です。 「思考を見張る」とも言います。
多くの人は、自分の思考に振り回されて、苦しんだり、悲しんだり、不安になったり、恐れたり、不快になったり、緊張したり、不幸を感じたりしますが、それが相手のせいとか条件や環境のせいにして、外に原因があると思い込んでいる人がほとんどではないでしょうか。
「苦しみの元は、吟味されていない自分の思考」
というのが、真理なんです。
わかりますか?この意味?
長くなりましたので、この続きはまた次回。